天才の半生記、というだけでも充分面白いです。
同時に、たくさんのヒントや問題点を考える内容になっていて、丹念な取材の素晴らしさに驚きました。
台湾の若き天才デジタル担当大臣、オードリー・タン(唐 鳳、Audrey Tang: ハンドルネーム Au)のこれまでの歩みを2名のジャーナリストが取材しまとめた書籍です。時々読み直したいので備忘録としてまとめます。
あまりに内容が濃くて、残しておきたいフレーズも多いのですが、特に子ども頃の教育についてです。
文藝春秋より 2020年9月30日発売
IQ180(本人は身長180ですと言ってます)、初のトランスジェンダー閣僚、デジタル担当部長(大臣)としてコロナとの戦いで有名になったことはご存知の通り。東京都のページへの投稿も話題になりましたね。
その業績はよく知られていますが、家族・友人・関係者への膨大な取材を行った本作。仕事の詳細はもちろん、前半の子ども時代のお話は知らないことばかりで特に驚きました。
天才児をもつファミリーができること
家族、特にご両親の奮闘は興味深かったです。新しい出来事の連続で、決断の毎日だったようです。
小学一年生で9元連立1次方程式を解いた・・・というのは何だかすごすぎて想像つきませんけど。
両親はともに新聞記者。進歩的で自由な考え方をもっていて、我が子のために何がベストかを常に考えて行動しますが、もちろん何でもできるわけではありません。
少し大きくなると衝突することも多くなります。子どもは容赦ないですからね。大変な状況を何年もかけて乗り越えた過程が詳しく描かれています。
幼い頃は特に試練の連続で、頭が良すぎて周りと合わせられない、うまく対応できずいじめられることが多かったようです。特に小学校2年生の一年間は苦しくて家に閉じこもって読書ばかり。
なので、いじめや学校側の対応に納得できなくなると、転校を繰り返します。幼稚園3つ、小学校6つ、中学には1年。
ご両親が迅速に転校を決断するところ、実践できる点、ほっとしました。
大学など、小学校の外に場を求めることもします。
9歳で大学教授にアイザック・アシモフを教えてもらったり、子どものための哲学教室に通ったり、大学のサークルを紹介されて大学院生と交流したり。
そこで身に着けたことのひとつ、対話と思索の流れ、討論の3つのCの思考がこちら。
1 批判的思考 critical thinking なぜ自分がこう考えるのか、なぜ他人がそう考えるのかとその理由を考える。
2 ケア的思考 care thinking 討論の際に他人がどう感じるかに配慮する。
3 創造的思考 creative thinking もっと独創的な考えができるかどうかに踏み込み、自分らしいものを生み出す。
ある集合体の中でこのような手順を継続的に練習し、メンバー一人ひとりが協力して討論し、共に思考する習慣を身に着けることができれば、最終的に得られる答えは、権力を使ったのではなく、すべての人の共通認識から生まれたものとなる。
(斜体部分は本文からの引用です。以下同)
この思考の訓練を小学3年生が実践し、今も常に心の中でこの3つの側面から論点を明確にし、他人を説得する思考を導いているといいます。
このような訓練と経験があってこその天才の開花なのですね。そして週何日かは小学校に通い、他の日は自由に数学や哲学の勉強を続けさせてくれた関係者の決断も素晴らしい。
また、幼いタンとの衝突から距離を置くため、研究員としてドイツに滞在していた父親のもとに家族が合流したのが小学4年生のとき。
当時の台湾の学校教育は厳しく、規則や体罰も多かったとのことですが(日本も同じような状況ですね)、ドイツの教育に触れたことが大きく影響します。
言葉のハンデがあるタンを、教師たちは全力でサポートしました。
また、授業中、発音などの間違いを指摘されても笑われることはなく、クラス委員は誰かを管理する権力をもつのではなく皆を手助けする役目であること、誰かが別の子の邪魔をすればクラスメートが皆でたしなめることなど、教育現場の違いに親子で驚いたようです。
権力としての力ではなく、チームの力が、いたるところに自然とあった。
かつてはドイツでも体罰が行われていましたが、子どもの思考や責任感、チームワークをど育むかという取り組みに感動し、「台湾に帰って教育を変える」と考えるほどになります。
12歳で作ったはじめてのハンドルネームは Autrijus。「みんなの子ども」という意味で、ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」の少年の名前だそうです。
家族、教師、仲間によるたくさんの助けがあって乗り越えることができたということでしょう。
台湾に戻って、理解ある中学校長に出会います。中学の勉強と並行して国立大学の講義に参加し、中国の古典、世界の名作、宗教やスピリチュアルな本、政治学、法学、哲学など多くの本を読んだといいます。独学をしながら、やがてインターネットの世界に居場所を見つけます。
自分にとって学歴はどうでもいいことに気づき、中学を一年で中退して自分の道を進むことになりました。
タンの母親は、ドイツから帰国後、教育に携わることになり、タンも顧問として全力でサポートします。
子どもの自立・自主学習を重んじる小学校の開設です。このような教育改革や環境保護に行動する母の力強さが、タンの中に社会運動とソーシャルイノベーションの種をまいたと書かれていました。
両親にしても、最初から何をすべきかが分かっていたわけではありません。
悩み、対話し、ときに衝突しながらもサポートを続けるなかで、心も能力も解放されたのだと思います。
とても具体的な記述の連続は、臨場感があって詳細なものでした。
よりよい世界のために寄り添うシビックハッカー
本の帯にまとめてある通り、
8歳でプログラミングを始め、
14歳で学校を去り、
24歳で性別を超え、
35歳で時代に選ばれた
天才シビックハッカーのすべて。
中学中退後、10代半ばでビジネス界に入り、ソフトウェアの会社を経営。シリコンバレーで起業もしました。23歳からは2年間、世界を旅しながら仕事を続けます。Appleなどの顧問も務めましたが、33歳でビジネス界から引退しました。
2014年、33歳のときに遭遇したのが「ひまわり学生運動」。タンの友人が立ち上げた g0v零時政府(ゼロガバメント)の動き、タン達の考え方、社会の緊迫した動きが手に取るように迫ってきます。
暴力や不要な衝突を避けることができたのは「情報」を広く正しく共有できたからでした。「うわさは真実より速く伝わる」から。
インターネットによって正しい情報を瞬時に広く伝えたこの時の詳細な記録と、巻末の特別記録「台湾 新型コロナウイルスとの戦い」はとても良質なドキュメンタリーだと思います。
ひまわり学生運動の時も、マスクマップアプリ開発のときも、根底に有るのは「よりよい社会を共有する」ことです。
子どもの頃からホワイトハッカーの理念に共鳴していたタンは、ハッカーは社会の進歩の原動力であるべきだと考えていた。
それこそが、市民の政治参加に関心を持つプログラマー、シビックハッカーの原点だ。
IQよりEQが高いといわれるほど、人に寄り添って考えるといわれるオードリー・タン。さまざまな経験を経たからでしょうか。
また「大勢の人のために行うことは、大勢の人の助けを借りる。これが子どもの頃から一貫して行ってきたことです」とも語っています。
決して孤高の天才ではないのです。
子どもの頃から、決して一人だけでここまで来たわけでないことがよく分かります。
家族とともに乗り越え、友達と切磋琢磨し、協力し、チームで問題解決を図ることが社会の進歩に必要という姿勢が、単なる “天才” エピソードにとどまらず尊敬される理由なのでしょう。
飛びぬけた知性と思いやりとユーモア、芸術を愛する心をあわせもち、性や国境を超えが人物が生まれているのだと思うと、未来を信じたくなります。
そして、理念だけでなく、実際に社会で機能するプロジェクトを実現するスピード!
風通しの良さも純粋にうらやましいです。
タンが好きな言葉の一つに、ウィリアム・ギブスンのこのフレーズが紹介されていました。
「未来はここにある。まだ均等にいきわたっていないだけだ」(The future is already here ー it's just not evenly distributed)
未来を変えるためには、少しずつでも今を変えることなのですね。